気をつけてねと言われることへの、複雑な気持ち
「気をつけてね」
と言われること。
これはよくあることで、割と当たり前に思っている。
「気をつけて帰ってね」
「気をつけていってらっしゃい」
などなど、どこか移動するときなどの枕詞としてよく使われるのが「気をつけてね」
その言葉で、自分は大事にされているんだなあと思える。
自分自身が、大切に扱うべきものとして、相手に認識されてるんだと感じる。
だから気をつけてねを言われることは、良いことだと思う。
でも、「気をつける」ように言われる、その裏には「気をつける」べき事情があるから。
そう思うと「気をつけてね」という思いやりの言葉は、受け取るのは嬉しい反面、その言葉が必要な事情が少なくなったらいいなと思う。
とはいえ、みんな誰かにとっては大切な人。
それぞれにとっても、自分自身は大切。
だからきっと私は、いろんな気をつけるべき事情がなくなっても「気をつけて」って言うのかな。
もっと他の言葉があったらいいな。