ほんとうの痛みは共有できなくて
朝のメイクをしながら、横目にテレビをみていたとき、唐突な音に胃をぐにゃりとつかまれた。
もうすぐで朝ドラ「半分、青い。」が始まるところ。
その異音が地震速報の音だと気が付いたのは、すぐのことだけど、大阪北部、というテロップを情報としてすぐに認識できなかった。
今週起きた大阪での地震。みなさまご無事でいらっしゃいますか。
何卒身の安全が守られてますように。そして一日も早い復興を祈っております。
関西出身なので、もっと言えば一番長く住んでいるのは神戸なので
あの日の朝が蘇り、画面の前で固まっていました。
すぐに地元の家族、友人たちに連絡をいれたいけれど、きっと今は混乱しているかもしれない。
もう少し状況を見てから判断しようと、息をするのも苦しい状況でした。
隣の人が箱ティッシュを寄せてくれるまで、メイクが涙に流されたままなのに気が付けませんでした。
会社のシステムから一斉送信される安否確認のシステムに、自分の無事を入力し、家族の情報に「未確認」と登録することが怖くて、でもすぐに確認するのは被災の現場のためにならないのはわかっているから、もどかしくて仕方ない朝でした。
親から無事のメールがあり、通勤途中で被災したけれど無事と妹からも連絡があり、友人たちの無事も連絡も確認できたのはその日のお昼頃。
通勤途中で被災した妹が、帰宅難民になるのではないかと新たな心配が発生したので、無事が確認できた友人たちへ、妹が帰れなくなったら一晩寄せてほしいと頼みまくってしまいました。
大変なのに快く承諾してくれたこと、生涯感謝しつづけます。
その日の夜。ふと気になって阪神淡路大震災についてWikipediaを読んでみた。
怖いけれど、震度について確認してみた。
あの日、私は震度が一番強かった地区よりも少し西側にいた。
だから、建物が壊れたり、そのような被害はなかった。
でも、震度が大きかった地区の名前をみたときに、次々と友人たちの顔が浮かんだ。
「あの子は、この辺が実家だったはず。」
「この地区は、あの子とあの子の地元やんな。」
きっと、あの日、そこに住んでいたのだろう。
きっと、ここに記載されているかなりの強さの揺れがあったのだろう。
きっと、怖かったのだろう。
一番長く過ごしているのは神戸とはいえ、途中から引っ越ししてきた自分は、厳密にいうと友人たちと同じ境遇ではないのかもしれないと思うと、少しもどかしくなりました。
長くその土地にいたのに、その土地の友人たちと長く一緒にいたのに、あの日は違うところにいたから、本当の痛みは共有できていないのではと。
ほんとうの痛みは共有できていなくて、
「きっと」
と、思いを巡らせることが精いっぱいなのが、本当のところです。
長いこと、神戸におったのにね。
まずはみんな無事でよかった。
無事を確認したときに、家族の声が聞けたり。友人と話せたりしてよかった。
たぶん痛みとかって、わかろうと思ってわかったふりをするよりは、
「きっと、かもしれない」
って少し距離をとって、自分の気持ちを押し付けないのが一番ええと思う。
だから、ほんとうの痛みが共有できなくても、思いを巡らせていきたいと思う。