べっぴんさん104話の五十八さんをみて思い浮かんだ、その時のこと
お昼の日課は「べっぴんさん」をみること
いつもお昼休みは職場の方に了解を得て、一旦帰宅してお昼を食べております。
職場と家が近いことにメリットしか感じていないのですが、その話はまた別の稿でします。
お昼を食べながら、NHKにチャンネルを合わせて「サラメシ」やら「知恵の泉」などを楽しんだあと、締めは「べっぴんさん」を。
2月6日(月)放映分の連続テレビ小説「べっぴんさん」のナレーションの言葉を聞いたとき、遠くにあるいつかその時のことを考えてしまいました。
そばにいてくれて当たり前の人を失うかもしれない怖さには、計り知れないものがあります。―連続テレビ小説「べっぴんさん」104話より
主人公すみれの父親である、五十八さんが病で床に伏している映像とナレーションの言葉に、いつか自分にもその怖さが巡ってくるのではないかと、見ないようにしていた不安がまた顔をのぞかせました。
私が見ないようにしている不安、不安を見せないようにする母
1月最後の週末は実家へ帰っていました。
日曜はあいにく検定試験があったため、ゆっくり過ごすことはできませんでしたが、土曜の夜は家族全員揃ってケーキを食べました。
実は1月は私の誕生月だったため、私の帰省のタイミングに合わせてケーキを準備してくれていたのです。
娘とはいえ、もう27歳になった私なのに、甘いものが好きで小さいころから誕生日のケーキを楽しみにしていることを、両親はいつまでも覚えているようです。
毎年大切に想われていると実感します。
父からお誕生日おめでとうメールがきた。毎年メールをくれるマメな父。毎年似た内容。「お父さんとお母さんのところに生まれてきてくれてありがとう」毎年この言葉を贈る父のもとに生まれてきてよかったなあと毎年思います。
— ゆうぽん@みらリコ尊い (@eupon017) 2017年1月7日
妹からもプレゼントを
仕事も勉強も頑張れる贈り物をもらいました。妹からの誕生日プレゼント。
「ちょっと薬、強いのにしてもらったから調子いい方なの」
と母は言いました。母の中ではまだ私はがんのことを私は知らずに、単に病気だということしか知らないという設定ですので、どんな薬なのか、どれくらいよくなったのかまではあまり教えてくれませんでした。
検定試験のその朝、私のお腹の中に入った確かなもの
日曜は、語学の検定試験だったため、朝の10時頃には家を出る必要がありました。
8時すぎに起きてリビングにいくと、パンの焼ける温かさと卵が焼ける優しい香りが待っていました。
「エッグサンドの味、どうかな?」
斜め前に座った母のことばに返す言葉にたくさんのありがとうを伝えたくて、でもありがとうじゃわざとらしい気がしたので
「マスタード使っとうよね? すごく美味しい! このサンドイッチすごく好きな味!」
そう答えると
「分かったの!? 気にってもらえてよかった」
と珈琲を一口、おだやかな表情をしていました。
大人になった私が勝手に受ける試験なので、がんばれ、とか、しっかり、とか特に言わないけど、ちゃんとお腹には母からの確かなものが入りました。
そばにいてくれて当たり前の人を失う怖さ。
きっとすぐではないです、ずっと先になるかもしれません。
でも私が命のバトンの順番をちゃんと守ったら、時間はかかるかもしれないけど、いつかそのときが来ます。
その時に備えて、今からどんなに頑張っても、どんなにそばにいても、きっともっと一緒にいたいと考えるのでしょう。それでも、できるだけそばにいたいと思っています。
しかし、ひとつ不安もあります。
母の娘として生きることと、ひとりの大人として生きることの狭間が怖いです
ずっと娘として、母ついて回っていられたら、 母も喜ぶのではという気持ちと、ひとりの大人として、伴侶とともに生きることの狭間にいて少し怖いです。
27歳という年齢、結婚をして親を安心させたい気持ちと、伴侶が同性であることを告げる怖さの狭間にいます。今後の私にとっての課題にも向き合わねば。
by:Tommy