さみしがりすぎて恋人に泣きながら電話をするメンドクサイ彼女とは私のことです。
現在、パートナーと一緒に暮らしています。
しかし、たまにパートナーが実家に帰ったりして、1人暮らしのような生活になるときもあります。
3日ほど前に、泣きながらパートナーに電話していました……。
「ごはんを食べる気にならない」
「アニメをみたってさみしい」
「寝るときに一人なのは不安…」
せっかく恋人と話しているのに、子どものように泣きじゃくり本当に可愛くないです。
しまいには
「早く帰ってきて……」
とわがままを言い出す始末。
我ながら、とてもとてもメンドクサイ彼女だと思います。
そんなメンドクサイ彼女と通話中、
「やっぱタイトルに数字入っている記事(”夢をかなえる3つの○○”みたいな記事)は読みやすいね」
と言いながら、パートナーがこの記事をシェアしてくれました。
泣きじゃくる彼女に、この記事をシェアする恋人のことを、私は冷静に考えてそういうところがいいところだと思っています(※個人の感想です)
さみしいと感情を爆発させているときに、参考になりそうな情報を検索する心の余裕は難しいのではないでしょうか。
そう考えると、お医者さんからお薬を処方されたときのように一旦冷静になれます。
よくあるハウツー記事ですけど、まずは冷静になろうと読んでみました。
記事で書かれている
「共感できる作品を見る」
「突拍子もない希望を書いてみる」
これは、結構なリフレッシュになると思います。
そして一旦落ち着いた私にパートナーが言いました。
「ひとりだったら、相手の時間を気にせずに好きな事をとことんできるし、何か思い切りやってみなよ」
翌日
冷静にはなったものの、まださみしさは解消できておらずモヤモヤしながら退勤した私はある衝動に駆られました。
「スパイシーなものが食べたい!!」
本当は歯の矯正治療をしているので、色素の強い食べ物(カレーやトマトソース等)は控えなくてはいけないのですが、次の矯正器具の交換が1週間後だと思い出し「どうせ交換するからいいだろう」と近くのカレーの美味しいカフェに行きました。
スパイスの香りが食欲をそそり、おなかから温かくなれる上、気取らない食べ物のカレーが好きです。
食後にチャイを頂きながら、ノートを開いて思いついたことをどんどん書いていきます。書きながら大学生のころを思い出しました。
受験に失敗して、滑り止めの大学に通うことになった自分。
そんな自分が情けなくて、つらくて、入学式用のスーツを買いに行った先で泣いてしまいました。結局スーツ屋さんで買うことはできず、後日衣料量販店で適当に選んでスーツを買いました。
抜け殻のような大学生活のなか、唯一好きだったことは、黙々とカレーを食べて、ノートに言葉を書き付けることでした。
やりたいことをリストアップしたり、何でもない日常のことを書いたり。
そういう、彼女に出会う前の自分。悔しくて悲しくて引きこもっていたときの自分を思い出して、あのとき描いた希望の何パーセントかは実現していることに少し嬉しさを覚えました。
さみしがりなメンドクサイ彼女は私のことですが、昔に比べたらちょっとは成長しているようです。なので、これからもちょっとずつましになると思います。
歯の矯正が終わったら、いろんなカレー屋さんを巡るんだ!
今回はそういう私の日常の記録でした。
Tommy
べっぴんさん104話の五十八さんをみて思い浮かんだ、その時のこと
お昼の日課は「べっぴんさん」をみること
いつもお昼休みは職場の方に了解を得て、一旦帰宅してお昼を食べております。
職場と家が近いことにメリットしか感じていないのですが、その話はまた別の稿でします。
お昼を食べながら、NHKにチャンネルを合わせて「サラメシ」やら「知恵の泉」などを楽しんだあと、締めは「べっぴんさん」を。
2月6日(月)放映分の連続テレビ小説「べっぴんさん」のナレーションの言葉を聞いたとき、遠くにあるいつかその時のことを考えてしまいました。
そばにいてくれて当たり前の人を失うかもしれない怖さには、計り知れないものがあります。―連続テレビ小説「べっぴんさん」104話より
主人公すみれの父親である、五十八さんが病で床に伏している映像とナレーションの言葉に、いつか自分にもその怖さが巡ってくるのではないかと、見ないようにしていた不安がまた顔をのぞかせました。
私が見ないようにしている不安、不安を見せないようにする母
1月最後の週末は実家へ帰っていました。
日曜はあいにく検定試験があったため、ゆっくり過ごすことはできませんでしたが、土曜の夜は家族全員揃ってケーキを食べました。
実は1月は私の誕生月だったため、私の帰省のタイミングに合わせてケーキを準備してくれていたのです。
娘とはいえ、もう27歳になった私なのに、甘いものが好きで小さいころから誕生日のケーキを楽しみにしていることを、両親はいつまでも覚えているようです。
毎年大切に想われていると実感します。
父からお誕生日おめでとうメールがきた。毎年メールをくれるマメな父。毎年似た内容。「お父さんとお母さんのところに生まれてきてくれてありがとう」毎年この言葉を贈る父のもとに生まれてきてよかったなあと毎年思います。
— ゆうぽん@みらリコ尊い (@eupon017) 2017年1月7日
妹からもプレゼントを
仕事も勉強も頑張れる贈り物をもらいました。妹からの誕生日プレゼント。
「ちょっと薬、強いのにしてもらったから調子いい方なの」
と母は言いました。母の中ではまだ私はがんのことを私は知らずに、単に病気だということしか知らないという設定ですので、どんな薬なのか、どれくらいよくなったのかまではあまり教えてくれませんでした。
検定試験のその朝、私のお腹の中に入った確かなもの
日曜は、語学の検定試験だったため、朝の10時頃には家を出る必要がありました。
8時すぎに起きてリビングにいくと、パンの焼ける温かさと卵が焼ける優しい香りが待っていました。
「エッグサンドの味、どうかな?」
斜め前に座った母のことばに返す言葉にたくさんのありがとうを伝えたくて、でもありがとうじゃわざとらしい気がしたので
「マスタード使っとうよね? すごく美味しい! このサンドイッチすごく好きな味!」
そう答えると
「分かったの!? 気にってもらえてよかった」
と珈琲を一口、おだやかな表情をしていました。
大人になった私が勝手に受ける試験なので、がんばれ、とか、しっかり、とか特に言わないけど、ちゃんとお腹には母からの確かなものが入りました。
そばにいてくれて当たり前の人を失う怖さ。
きっとすぐではないです、ずっと先になるかもしれません。
でも私が命のバトンの順番をちゃんと守ったら、時間はかかるかもしれないけど、いつかそのときが来ます。
その時に備えて、今からどんなに頑張っても、どんなにそばにいても、きっともっと一緒にいたいと考えるのでしょう。それでも、できるだけそばにいたいと思っています。
しかし、ひとつ不安もあります。
母の娘として生きることと、ひとりの大人として生きることの狭間が怖いです
ずっと娘として、母ついて回っていられたら、 母も喜ぶのではという気持ちと、ひとりの大人として、伴侶とともに生きることの狭間にいて少し怖いです。
27歳という年齢、結婚をして親を安心させたい気持ちと、伴侶が同性であることを告げる怖さの狭間にいます。今後の私にとっての課題にも向き合わねば。
by:Tommy
本とチョコと紅茶と…産まれた私を包んだ毛布
【本とチョコと紅茶と…】
この三つは、産まれ落ちた私を包(くる)んでいる毛布のようなものです。
何度もねだる私に、母は読み聞かせをしてくれました。
外出から帰ってきた母がくれたその甘いお菓子は、幼いながら世界で一番おいしいと思いました。
小学生陸上大会の練習にいくのに早起きができた私に、母はミッキーマウスのマグカップにたっぷりの温かい飲み物を淹れてくれました。
産まれてすぐ包まれた毛布のことはさすがによく覚えていないけど、でも小さいころからずっと、今でも私を温かく包んでくれているのは〈本〉〈チョコ〉〈紅茶〉を手渡してくれた母の愛情だと感じています。
◆筆者について
Twitterのハンドルネームはゆうぽん(@eupon017)百合アニメ好きの人です。
オンナノコがすきなオンナノコでもあります。
百合オタな話は引き続きTwitterで流していこうと思っています。
ここではハンドルネーム〈Tommy〉として下記のことをメインに書いていこうと思います。
◆大切な家族のことへの気持ちを留めておくため、blogをします。
言葉を綴りたい気持ちは、写真のようなものだと思います。
その瞬間を切り取りたい、一瞬の光を拾ってとどめたい。
時々言葉を書くとき、写真、もしくは標本を作っているような気持ちになります。
今回留めておきたくなったのは、大切な家族…母のことです。
◆珈琲の最後の1滴が落ちてから……妹の告白
「明日時間ある?京都に行くから、もしよかったらちょっとお茶でも」
珍しく唐突に妹の方からお誘いがあった。
珈琲が好きだというから、雑誌で見つけていた美味しい喫茶店に行ってみた。丁寧に最後の一滴を落とし込んだ珈琲。まずは鼻の先で香りを遊ばせて一口含み、そしてのどに残る余韻を楽しんでいた。すると妹が急にカップを置いてこちらをみた。
「お母さんね……お姉ちゃんには言ってないんだけど……」
「なんかあったの?」
「前からちょくちょく病院行ってるやん? あれね、ガンの治療なの」
”ガン”
この言葉がこんなにも、心に響かないものなのだと。
そのときは、重みや実感がなく、妹の前だから”お姉ちゃん”の私は平静を保つのに精いっぱいでした。
◆現在まででわかっているわずかなこと
長女である私に心配をかけまいと、母は私には打ち明けていなかったそうです。
そして妹や父親にもあまり心配させたくないため、ガンの詳しい状況は伝えず「ちゃんとお医者さんに行って治しているから」の一点張り。
――病人扱いされたくない、心配されたくない。
その気持ちはわかりますが、でも家族として詳細は知らせてほしい。
妹と父親が知っていることで聞き出せたことは、咽頭がんらしいということと、ステージは4ではないというこの2点です。
これからきちんと治療をして対応をしていくのに、家族である私たちがあまり多くを知らされない状況というのは、なかなかに堪えがたいもので苦心してます。大変な思いをしているのは母本人ということは承知していますが、娘である私も様々な思いがよぎるのです。
「おいしいご飯を一緒に食べたい」
「一緒にお茶をしたい」
「モーニングに行って、のんびりとした午前を過ごしたい」
日常生活でたくさん時間を重ねたいのはもちろん、他にも
「恋人を紹介したい」
「ウェディングドレス姿を見てほしい」
「孫の顔も見せられたらいいな」
……たくさんのこれからの出来事に、期限を付けなければならないような焦燥感があります。
まだ私は26歳。その母が”がん”であること。
唐突に知らされたことに、対応しきれずにいるためここに書くことにしました。
プライベートで私のことを知っている人は、どうかここだけの話として胸の中にとどめていただければありがたいです。
ここでは母との出来事を書くだけでなく、これからを考えるため、そして経験がある方と情報が交換でき、シェアできればと思っています。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
こまめに更新していきますので、また覗きにきてください。
by:Tommy